1988年、東京おもちゃショーで産声を上げた一台の自動販売機。 ハンドルを回す「カリカリッ」という独特の感触と、キラカードが出た瞬間の興奮。
今振り返れば、カードダスは単なる「カードが出る自販機」ではありませんでした。 そこには常に『ドラゴンボール』『SDガンダム』があり、なけなしのお小遣いを握りしめて向かう、僕らにとっての「一番身近なエンターテインメント」でした。
20円から始まり、数億枚規模の市場へと成長した「カードダス」の軌跡。その歴史を決定づけた転換点と、同時代を彩った名作たちを振り返ります。
アメダス」が由来? 情報源としてのカードダス
あまり知られていない事実ですが、「カードダス」というネーミングは、気象観測システム「アメダス(AMeDAS)」に由来しています。
開発コンセプトは「子供たちの情報源(ソース)になること」。「カード」と「アメダス」を掛け合わせたその名の通り、僕らはあの小さな紙の裏面に記された戦闘力(BP/HP)などの「数値データ」や「キャラクター情報」に夢中になりました。
1988年〜1990年:奇跡の連動と第一次ブーム
カードダスがこれほどの社会現象になった最大の要因は、間違いなく『ドラゴンボール(DB)』の存在です。 1988年のテスト販売を経て、1989年に『ドラゴンボール』本弾が発売されると、アニメの展開と完全連動した商品展開が爆発的なヒットを生み出しました。
この「第一次ブーム」を牽引したのはドラゴンボールだけではありません。 『聖闘士星矢』、そして『SDガンダム』。 これら強力なラインナップが同時期に揃ったことで、カードダスは一過性の流行ではなく、子供たちの必須アイテムとしての地位を確立しました。
また、1990年7月からはドラゴンボールだけカード表面に「箔マーク」が導入されています。これは高級感の演出に加え、当時人気のあまり横行していたコピー商品を防ぐためのセキュリティでもありました。
1991年〜1993年:ブームの継承。ビックリマンからカードダスへ
1991年には累計販売枚数が14億枚突破という記録的な数字に達し、カードダスは黄金期を迎えます。 この頃から、従来の「1枚20円」に加え、「5枚1セット100円」で購入できる「カードダス100」の自販機が主流になり始めました。 さらに、専用ファイル「カードダスステーション」の登場により、「集めて遊ぶ」から「ファイリングして保存する」コレクション文化が定着します。
コレクション文化といえば80年代後半を席巻した「ビックリマン」の存在がありましたが、公正取引委員会の横槍によりブームが去ってしまい、当時の子供達の「収集欲」とお小遣いの行き先が迷子になりかけていた、まさにそのタイミング。 その巨大な熱量の受け皿として、カードダスは完璧なタイミングで台頭したと当時小学生だった私には感じられました。
ラインナップも拡大し、当時の人気作品が次々とカードダス化されました。 ゲーム画面を取り入れた『ストリートファイターII』をはじめ、『幽☆遊☆白書』、『スラムダンク』『魁男塾』、さらには女の子向けに『美少女戦士セーラームーン』といったタイトルが参戦。
かつてシールに向けられていた情熱(とお金)はそのままカードへとスライドし、アニメやゲームブームとシンクロしながら、子供たちの「新しいコレクション」へとカードダスは大きな存在感を出してました。
私もSDガンダム外伝(ラクロアの勇者)を頑張ってコンプリートしたのはいい思い出です。
1994年〜1996年伝説のイベント「究極博」とギミックの進化
ブームはリアルイベントへも飛び火します。 1994年10月には、カードダス単独の大規模イベント「カードダス究極博(きゅうきょくはくらんかい)」が開催。さらに全国規模の「カードダス・ツアー」や、雑誌連動の「Vフェス(Vジャンプフェスティバル)」などが開催。
今では高額で取引されている会場限定カードダスや大会を求めて多くのファンが詰めかけました。
技術面でも進化は止まりません。1994年頃からは、めくると下からプリズムが現れる「Wプリズム」や「リバースプリズム」、隠された数値を読むバーコード搭載カードなど、新ギミックが続々と投入されました。
終わらない物語と、海を渡った20円
1995年に『ドラゴンボール』の原作連載が終了した後も、カードダスはアニメ『ドラゴンボールGT』に合わせた新弾を展開し、その歴史を紡ぎ続けました。
「DBなくして今日のカードダスはない」と言われるほど、その関係は密接でした。 そして忘れてはならないのが、もう一つの巨大な柱『SDガンダム』の存在です。騎士や武者の姿で多様に展開されたガンダムワールド。この二大巨頭が並び立つことで、カードダスブームは盤石のものとなりました。
【現在地】20円の紙片は、世界の「TREASURE」へ
90年代に香港、台湾、韓国、そしてアメリカへと渡ったカードダスたち。 あれから30年以上の時を経て、その「種」は予想もしない形で花開いています。
今、秋葉原や中野ブロードウェイのショーケースを熱心に覗き込んでいるのは、かつての日本の少年たち(おじさん)だけではありません。
世界中のコレクターが、あの頃僕らが20円で手に入れた「孫悟空」や「ベジータ」を求めてヤフオクなどで代理サービス使って落札していきます。
特にドラゴンボールの初期弾や限定カードは、中古市場において驚くべき価格で取引されることも珍しくありません。
また、カードダスの系譜は途絶えることなく続いています。 当時のデザインをそのまま復刻したプレミアムバンダイ限定セットや、デジタルと融合した新作など、形を変えながら展開を継続。資料が予言した「不滅のDBと同じく、カードダスもまた不滅」という言葉は、現実のものとなりました。
20円を握りしめて自販機を回したあの瞬間。 それは単なる遊びではなく、世界と繋がる壮大なカルチャーの入り口だったのです。

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